映画『戦雲-いくさふむ-』の個人的感想メモ
2024年8月31日、trunk主催の映画『戦雲-いくさふむ-』上映会を行いました。これは、素晴らしい映画を見た後の「誰か聞いて!!」という気持ちを整理もせずにメモとして残したものです。映画を見た方は是非感想を共有しましょう!映画について知りたい方はこちらをチェック!
おばぁのせき
8歳で終戦を迎えた節子おばあが、ゆっくりと、どっしりと、自衛隊基地の大きな門の前で隊員の若者に話しかけるシーンが忘れられない。
他のシーンでは、離島の基地にミサイルを持ってくることや、戦車を導入すること、そもそも基地を沖縄に強引に設置、拡大する動きに反対する人々の声がマイクや拡声器で響いているのに、粛々と無視する運転手や隊員たちの姿ばかりだった。ちらっと見るだけで「めんどうな人たち」だと言わんばかりにせせら笑う権力者の顔が映し出されるシーンもあった。そんな中で、節子おばぁが自衛隊基地の門の前で語るあのシーンでは、少なくとも1人の自衛隊の青年は、目を見て聞いているように私には見えた。彼は、おばぁに返事をすることも、自分の気持ちをあの場で話すことも許されない立場だけど、あのシーンだけは、対話が生まれ得る可能性が、ほんのチラッとだけだけど見えた気がする。
映画の中で、活動し声をあげる人たちは、個人を責めるような言い方はしていなかった。最前線で働く隊員や工事現場の職員を責めない。あなたと争いたいんじゃない、と。国が行う不誠実や暴力に声を上げているんだ、と。私たちの苦しみを聞いて欲しい、あなたもおかしいってわかっているんでしょ?、と。おばぁが咳をするたびに、心臓がえぐられる。
あの子の目
映画の中に、おばあちゃんもお母さんも基地に反対し積極的に活動する家庭で育った子が登場する。島にミサイルが運び込まれる時は小学校低学年だろうか。お母さんと一緒に基地の前で座り込みをし、警備員や警察と衝突する騒動の中で、泣きながら必死にお母さんを守ろうとする。その子が小学6年生になり、爛々とした目で語るシーンがある。おばあちゃんやお母さんの姿を尊敬している、自分もそうなりたいと思った、ミサイルが来た時みたいに自分も声を上げたい、今度は泣かない、と。
あの子には、他の選択肢があったのだろうか?小学6年生のころ私は何をしていたっけ。あの子は、それ以外を選べない環境にいるように感じた。あの子のギラギラした力強い目を見て、次世代の希望を、私は手放しには喜べない。あの子を戦わせてるのは私たちだ。結局、戦いの場に子供を送り込むのなら、戦時中と同じじゃないか。
映画には、「向いていない」と言いながらも政治の世界に乗り込んだお姉さんも登場する。ヤギを愛でるのがストレス解消だと語るお姉さんも、辛そうな目をしていた。あのヤジの飛ばされかた。毎日きっと辛いはずだ。あの人も、かつての小学6年生のあの子じゃないのか。彼女を支え、並走する人間がいないと倒れてしまうのではないか。やっぱり1人じゃなくてみんなで戦わないとダメなんだ。
あの時なぜ
抗議活動の中で、マイクで叫ぶ議員さんのセリフ。
「あの時なぜ、もっと、ちゃんと意思を示さなかったんだろうと、後悔しないために、今ここに立っています」
あそこに立つ島の人たちは、今ここで目の前に運び込まれたミサイルや戦車を止められないと知っている。もう国によって決定されたことだから、到着を少し遅らせることができればいい方で、今すぐ止められないとわかっている。
でも、いつか、
いつかきっと、と。
そう祈るような気持ちで、集まって、みんなで道路に立って声を出すのだ。子供が戦わないでいいように。子供に選択肢を持ってもらうために。
ガマの長老
戦時中にガマ(鍾乳洞の中をガマと呼び戦時中は防空壕として使われた)に逃げていた経験を持つ、平和ガイドをしている人のエピソードが紹介される。敗戦直後、ガマから出て戦おうとした青年たちに「負けた相手をアメリカ兵は無駄に殺さない。白旗を持って出れば大丈夫だ」と伝えた老人たちがいたから、そのガマに逃げ込んだ村の人は死なずに済んだそうだ。多くの沖縄の人たちが防空壕の中で集団自決した中で、老人たちの偉大さは言うまでもない。と同時に、悔しさと恐怖と怒りを抱えた青年たちも、よくその声を聞いたな、と想像した。そのガマの中では、対話が可能だったんだ。そんなコミニティーだったから、わざと栄養失調になり兵役を拒否したというガイドのお父さんも、そこで生きていけたんじゃないのかな。
歴史を知る、老人の話を聞けたコミュニティーが生き残れたというこのエピソードは、戦争を知る老人の話を無視し続ける今の国の姿を、痛烈に皮肉っている。
歯車の外にいる母
節子おばあが、特攻で若くして亡くなった近所の兵隊さんについて語るシーンがある。多くの兵隊さんが最後の手紙や歌で母を求めるのは、助けてほしいという気持ちの現れてあり、母が最後の頼みの綱だったからかもしれないと話していた。
国の歯車になっているから、特攻に向かう自分を助けることはない権力を持つ父。権力を与えないという差別によって歯車から弾かれた女性としての母。自分の息子よりも権力を持たない母だから、助けてくれと最後の希望を求めていたのかもしれない。17歳や23歳の特攻青年兵士たち。彼らもまた子どもだ。
ヘミングウェイとダブルピース
映画には、裏の(?)主人公としてカジキ漁を行う川田のおじぃが登場する。このおじぃがチャーミングな人で、深刻な状況を語る映画の中で1人豪快にガハガハ笑っているもんだから、登場するたびに私も一緒に笑ってしまった。三上智恵監督のインタビューの中で、この川田のおじぃをヘミングウェイの代表的な小説『老人と海』と照らし合わせて語っているものがあった。
小説に登場する老人は寡黙な漁師で、決して「イエーイ」とダブルピースしたり、カメラの前で決めポーズを何種類も披露したりしないんだけど笑。確かにカジキとの戦いの話だ!と納得した。あの小説の老人は、最後どうなるんだっけ?
『老人と海』に登場する老人は、巨大なカジキと何日も海の上で1人格闘し、怪我をしながらもついにカジキに勝つんだけど、村への帰り道、最後の最後で横から出てきたサメにカジキを取られて死にそうになるんだっけ。手ぶらで帰ってきた老人を見て、村の誰もが役立たずの老いぼれだと笑う。老人の戦いを知るのは、村の少年1人だけ。そんな話だった気がする。捕まえたカジキはサメに取られて、勝利の証拠は無い。だけど少年だけは、孤独な老人のことを知っていて、証拠がなくても信じた、そんな話じゃなかったかな。(違ったらすいません)
老人が命がけで戦った、そして勝ち取った姿を少年が知っているのは、希望だ。
ガマを生き抜いたかつての少年が今は平和ガイドで歴史を語り、8歳で終戦を迎えた少女は老女になり島の歌で祈りを伝える。カジキを持ち帰れなくても、ボロボロでも、命をかけて戦った人の姿を、きっと子どもは忘れない。
おじぃの海
川田のおじぃはいつも笑っている。別に自衛隊反対ってわけでもない、と笑う。あのおじぃはきっと人の話なんか聞かないタイプだと思う。川田のおじぃだけが、あの中で低学歴なんじゃないのかな。家が貧しく奉公に出されたと紹介されていたので学校にも行けてないだろう。映画に登場する他の活動家たちは、学校の先生だったり、議員だったり、地域の重鎮だったりする人が多く、話す言葉も理論的だ。川田のおじぃはガハガハ笑いながら、真剣に海を見てる。
おじぃは、きっと家族と海だけを見てきたシンプルな人だ。その人が映画の終盤、自分の直感から、なんだか海が変わってきた、戦争が起きそうだ、と語る。それは、そもそも自衛隊の基地があるからなんじゃねーの?、と言葉にする。それは、おじぃが見てきた海そのものが変わってきた証拠だと感じた。環境が、世界が変わって来ているのだと、海の潮加減を見るように、雲行きを見るように言うのだ。おじぃは戦雲を見ている。